私が店を出す理由
店を開業をしようと思い始めたのは、20歳前後が一番古い記憶だと思います。
実家が元々米の小売業を営んでいたこともあり、いつかは自分も会社を興してみたいと考えていました。
大学卒業後はネッツトヨタ栃木に新車の営業スタッフとして3年半勤務、その仕事についた理由は社会を知る、営業職はどの会社にもあるので勉強していた方が良いと思ったからです。
良い成績を残したら、次のステップに・・という考えは入社当時から固まっていました。
トヨタの同期入社で出会った妻との出会いは「夢」に具体性をもたせてくれました。
「何」で開業するかを悩んでいた当時の私に、飲食での道を閃かせてくれたのも妻だったと思います。
トヨタを退社後はスターバックスで半年、プロントで1年半務めました。 当時はカフェでの開業を考えていたので、スタバから入りましたが、勤めてすぐに、コーヒー、カフェでは食べていけないことに気づきました。 利益が薄く、回転率も低いのでビジネスとしては成り立ちづらいことに気づいたからです。 それであっても、スターバックスのホワイト企業の取り組み、仕組み、姿勢は私にとって、素晴らしい経験だったと感じています。 当時の仲間もキラキラしていて、こんなに素敵に働いている人等は見たことがないと感心仕切りの毎日でした。
スタバで働きつつ、経営の面も学びたかった私に、知り合いからプロント(カフェBAR)の店長をやらないか?と声が掛かります。 未熟な私には願っても無い話でした。 店長経験も出来る上に、数字や経営の面も学べる。少し考えましたが、二つ返事で快諾しました。
プロントでは、実際に入社してみるともう一人の社員を雇う、その人が年上なので中村には副店長をという話で進みました。 実際、役職はそんなに重要ではなかったので、最初は問題視してはいなかったのですが、店長になった方に問題がありました。
プロントのマネージャーも曲者で、店長はその方と反りが合わず、オープン1ヶ月で「うつ病」を発症してしまったのです。(厳密には再発) オープンから1ヶ月しか経っていないのに、しばらくの間1人にされてしまいました。 その時は非常に大変な思いをした記憶があります。経験値が足りない上に、人を束ねるのには精神も未熟だったと現在考えると思います。
幸いアルバイトのスタッフが非常に良い方達ばかりでしたので、なんとか乗り越えました。
このプロントで失敗も多くしました。人との人間トラブルもそうですし、凝り固まってた考え方を少し和らげることが出来たと感じています。
そして数字の事や経営の事も多少学ぶことが出来ました。
そんな折、仕事をしていると料理が気になり始めます。
大手のチェーン店の料理を批判するつもりは全くなく、ビジネスプランで考えた時の最善の手だと思います。
昨日入ったばかりの大学生のアルバイトさんが作れるように開発された料理とオペレーション。
知恵と努力、リサーチがないとなかなか出来ない事だと思います。
そう考えていたところ、宇都宮市内で繁盛している店に勉強しに行く機会がありました。 行った先が「チームバリスタ」「バリトン」でした。
当時の私はバリトンにすごく感動しました。特に料理に、金額が安く美味しい!皆嬉しそうにワイワイ、私はこんな店を目指したい!!
そうそうに準備をして退社をし、チームバリスタに移ります。
チームバリスタ、料理を学ぶ気持ちで入る!すごく新鮮な気持ちです。 プロントでも料理はしましたが、簡略された物だったのでイマイチ納得が出来てませんでした。
ワクワクしていた気持ちとは裏腹に、配属は・・炭人の台所「ばりちょう」!!?
そんな上手く物事は運ばず、焼き鳥屋さんへの配属です。残念な気持ちになりましたが、将来この配属が私の夢を形づけるキッカケになりました。
約1年、ばりちょうでキッチンを経たのち、念願のバリトンへ移動となりました。 バリトンでは料理の基礎や知識、経験も足りないとシェフにかなり怒られました。これも良い経験になりました。
色んなことを教えてくれたシェフは今でもよく連絡を取ります。
チームバリスタの社長、磯信太朗さん。男らしく、経営者とは、飲食店をやる者は、というところを見て学ばせて頂いた気がします。 店舗作りのセンスと仕組み作りの徹底さは、驚嘆に値し、日頃の努力はもちろん熱量が違うことを学ばせてくださいました。
磯さんから言われた言葉で記憶に残っているのが「店づくりは街づくり、そこに住んでる人のためになるような」
私はこれを私の方法でやって見たいと考えました。
磯さんはカリスマで、私はカリスマではないので、色んな人の力を借りないと成し遂げられる事もありません。
将来のビジョンで「焼肉」のジャンルは全体の給与の底上げでも必須でしたので、最後の勉強先は「焼肉屋さん」に決めました。 肉を学びましたので、最初のお店はイタリアン×肉の肉バルにする事に決めました。
祖父母の代から続いていた米屋さんも、2017年祖母の太腿骨折を機に廃業となりました。 タイミングも何故か一致していたのには、少し驚きました。
「イタリアン肉バル Ichimaru –iihi」
今までの勉強してきた過程と今の時流とを考えまして、ジャンルはイタリアン肉バルに決めました。
名前の由来はichiは一人や個人、単体を指し、maruはグループ、コミニティ、円環、還元など指しています。
私が勉強してきた中で、誰かの”ために”何かをする大切さや発揮されるパワーを大切にしたいと考えました。
自分の”ために”してきたことでも巡って誰かの”ために”なっている事もあります。
役に立つということは、それほど難しいことではありませんが意識する大切さを経営理念には載せたいと思い、店名の由来もそこからきています。
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